明治時代までは日本人はお肉を食べていなかったのか?
【弥生時代】
弥生時代の後期から、運搬や農耕に必要だった牛や馬ですが
四方を海に囲まれている日本は魚が豊富だったので、肉を食べるという習慣は定着しませんでした。
【古墳時代】
538年、日本に仏教が入ってきました。仏教には殺生禁止という教えがあり、「生き物を殺生すると仏罰が当たる」
とされ、肉食をさける風習が生まれました。
天武天皇は676年に、牛・馬・サル・ニワトリの肉を食べることを禁じ、食肉は本格的に忌避されるようになりました。
【飛鳥時代】
仏教の教えもあり殺生は良くない事とされていましたが、古くから肉食の味に親しんでいた人たちの間では必要に応じて
鳥獣の肉を楽しむ風習は続いていて「薬猟」と言われていました。
【奈良・平安時代~鎌倉時代】
戒律を守って極楽浄土を願う貴族階級と違い、武士の階級では狩りによって得た獣肉を楽しみ仏教の禁忌とは無縁でした。
「狩り」は軍事演習のためもありましたが、貴重なたんぱく源を得る手段でもありました。
【室町時代】
室町時代は、魚や鳥の肉などをみそやしょうゆの味付けで味付けした、日本料理の原型ができた時代です。
魚や鳥は上品な食物とされましたが、獣肉はそれらに比べると、野蛮で下等なものとの考え方もあり、
獣肉は、魚や鶏肉にくらべ、盛んに食べられることはありませんでした。
【安土桃山時代】
ヨーロッパから鉄砲が伝来し、日本に宣教師が布教に来るなど「南蛮文化」が日本に入ってきた安土桃山時代。
南蛮人との交易を境に仏教の「殺生戒」の意識も薄れ牛肉や豚肉が食用としても食べられるようになりました。
ですが、秀吉が「伴天連追放令」でキリスト教を禁止してからは、牛馬をと殺し食用とすることも禁じました。
【江戸時代前期】
江戸時代初期は三代将軍家光によって「鎖国令」が発せられ、キリスト教や、南蛮文化も禁止され、それに伴い牛馬のと畜禁止令も出て
それが江戸幕府の定法となりました。
獣肉食は忌み嫌う人もいましたが、南蛮文化などにもふれ食生活が豊かになったこともあり獣肉食を食べる人もたくさんいました。
近江の彦根藩では生牛と畜も黙認され牛肉のみそ漬けなども食されていたようです。
儒医の香川修徳は「邦人は獣肉を食わざるが故に虚弱なり」
として「薬食い」として肉食を説いたこともあり近江では公然と牛肉が食べられていたなど、地方によっても食文化の違いがありました。
【江戸時代後期】
町民文化が花開いた江戸時代後期は街道筋の宿場や居酒屋が軒を連ね、江戸の都市部では飲食店が立ち並びました。
江戸の庶民は、自宅では料理しにくい食肉を外食文化で食べる機会が増えてきました。
「山くじら」の看板を出す店でイノシシの肉の鍋料理。
「ももんじ屋」ではイノシシ、シカ、タヌキ、鶏肉などの獣肉も楽しむことができました。