明治五年初めて明治天皇が牛肉を食す
日本人は、明治時代以前は牛肉をたべる習慣はなかったそうです。
日本人が初めて牛肉を食べるようになったのは明治時代。
明治2年(1869年)に海軍が栄養をつけるために牛肉を食べることを採用し、
明治5年に明治天皇が初めて牛肉を食されました。
明治天皇が牛肉を食されたことにより、新聞が肉食を奨励するようになりました。
そのころ流行ったのが『牛鍋屋』。
明治時代に庶民の間に流行った牛鍋屋は「宮許」の文字を看板に入れ、たくさんの牛鍋屋ができました。
有名な明治時代の小説、仮名垣魯文『安愚楽鍋』(あぐらなべ)によれば牛肉を食べることは、文明開化の洗礼を受けることであり、
大工や左官、芸奴らが「牛鍋を食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」などと言って牛鍋を得意気に食べて、牛鍋屋が大繁盛する様子が描かれています。
こうして、徐々に牛鍋のブームが起こりました。
牛鍋は現代の関東風すき焼きのような甘い味付の鍋で、調味料は昔から日本人になじみのある、しょうゆ、砂糖、みそなどです。
「牛鍋」は、欧米の料理をまねたのではなく、欧米の素材をうまく日本人の文化に取り込んだと言えます。
そのため日本人の肉食に対する抵抗は徐々になくなっていきました。
明治6年には浅草・神田界隈で74件あった牛鍋屋も、4年後には東京で558件を数えるまでに急成長しました。
牛肉は西洋料理の材料として、庶民の間でも広まっていき、明治30年にはウスターソースが市販されるようになりました。
日本人の食文化が西洋の食文化と融合して、どんどん庶民の間に広がっていきました。
それまで野蛮なものとして、ほとんど『肉』を食すことがなかった日本人ですが、
食文化の西洋化により、肉食のタブーがなくなり、肉料理は家庭料理として定着していきました。
そのころから、近畿地方や中国地方から東京に鉄道輸送で送られるようにり、需要が増えたことにより、肥育も盛んになります。
明治の末期には山形県からも米沢牛が鉄道で輸送されるようになります。
学問のすすめで知られる福沢諭吉も幕末のころから
「牛肉は滋養に良い。牛肉は夜の明けるに従い、誰でも食用するようになる」
と言って、食肉を奨励しています。
ペリーが来航して以来、横浜に居留することになった外国人に対して、牛肉を調達する必要性が生まれました。
近畿や中国地方の牛が、神戸港に集められ船で横浜に運ばれました。
慶応3年(1867年)幕府により芝白金にと畜場が作られました。
当時の外国人にも、白ぬかや豆腐粕で肥育された日本の牛肉は大変評判が良かったということです。
外国人はビーフステーキとして食しましたが、日本人は最初はビーフステーキは受け入れにくかったようで、
江戸の町民には鍋料理として広まりましたが、味つけはそれまでにあった「カモ鍋」や「牡丹鍋」のような味付けで
ぶつ切りの牛肉と付け合わせの長ネギ、こんにゃく、焼き豆腐などを、みそ、しょうゆ、砂糖で煮る
という味付けです。